聞く・読む

歌で語学を学ぶ:音楽が教えてくれることと、教えてくれないこと

歌は文より記憶に残り、リズムや音の省略や俗語を教えます。同時に、だれも使わない語順も教えます。

だれの頭の中にも、話せない言語の歌が一曲、住みついています。それが音楽を推す理由であり、悪くない理由です。旋律とリズムは記憶へのもう一本の索引で、二百回歌った一行はどんなカードよりも速く出てきます。落とし穴は、歌が「よく響くように」書かれていて「典型的であるように」は書かれていないことです。ふだんの話し方の手本として受け取った学習者は、愛嬌はあるが少しずれた話し方に落ち着きます。

要点

  • 音楽がいちばん助けるのは発音、リズム、そしてかたまりごとの記憶です。ある対照実験では、新しい語句を歌って覚えた人のほうが、話して覚えた人より再生が良好でした。
  • 歌詞は教科書が飛ばす省略や俗語を教えます。それこそが本物の話し言葉を追いにくくしている当のものです。
  • 同時に、倒置や古い語形、一生使わない語彙も教えます。曲は楽しみ、文は使う前に確かめる。

研究が支えているのはどこまでか

いちばんはっきりしているのは記憶についてです。外国語の語句を歌うことに関する研究では、ハンガリー語の語句を歌って学んだ大人のほうが、同じ語句を話して学んだ人よりも、思い出すのも口に出すのも明らかに良い結果でした。旋律が記憶にもう一つの掛け金を与えているようです。

弱いほうの主張は、歌が言語そのものを教えるというものです。それは違います。数百の語、ひとつの訛り、ひと揃いの決まり文句が手に入りますが、すべてが一つの文体と一つの感情に結びついています。毎日の聞く読むに対する非常に有効な補助と考えてください。講座の代わりにはなりません。

歌がいちばんうまく教えるもの

  • リズムと強勢。 音楽がメトロノームの役を果たし、歌うことで口はあなたの調子ではなくその言語の調子に押し込まれます。
  • 音の省略。 歌い手は話し手と同じように音節を飲み込みます。だから歌詞は音のつながりへのやさしい入口です。
  • 決まり文句。 サビは繰り返されます。拍のついた間隔反復です。
  • 感情の語彙。 だれかが恋しい、この街に飽きた、出ていきたい。教科書はこれらについて不思議なほど無口です。
  • 近道としての文化。 みんなが知っている歌を知っていることは、完璧な文法より好意を集めます。

うまく教えないもの

歌の中ではふだんの話し言葉では
韻のための倒置必要なのは素直な語順
古語や詩的な語人が実際に使う語
拍のために落とされた助詞や代名詞試されるのはそちらの文法
地域の俗語が濃いどこでも通じる中立の言い方

これは歌を避ける理由ではありません。映画のせりふと同じく、取り入れる前に一行を確かめる理由です。

十五分の手順

  1. まず一度、楽しむために聞く。 歌詞は見ません。気に入らなければ止めて別の曲へ。方法全体が「繰り返したくなること」に乗っているからです。
  2. 音楽なしで歌詞を読む。 わかる行とわからない行に印をつけます。全部は訳しません。
  3. 三十行ではなく三行を取る。 その三行に要るものだけ調べます。本当に使う語は、その行を例文にして単語トレーナーへ。
  4. 下手でいいから歌う。 働くのはここです。自分の読む調子ではなく、歌い手の間合いを真似ます。
  5. 一文だけ確かめる。 いちばん気に入った行を選び、人がそう言うかどうかを調べます。詩的な行は詩として残し、パン屋へ持って行かないこと。
  6. 一週間後に戻る。 三度目の再生で、歯が立たなかった節がわかるようになり、サビは永久記憶に移ります。

歌詞が聞き取れて、速さがほどほどで、ギターの壁の向こうでささやいていない曲を選んでください。バラードや古い歌謡は現代のラップよりやさしく、ラップは別の段であり、速い話し言葉が壁でなくなってから試す価値があります。

歌と映画とカラオケ

論理は映画で学ぶと同じで、利点がひとつ加わります。歌は三分なので、透けて聞こえるまで繰り返せます。聞き取りの練習では珍しい贅沢です。映画を八回見直す人はいません。しかも歌うことは、人が自発的に行う唯一の話す練習です。これはどんな技法よりも重要です。毎日使われる方法は、木曜日に投げ出されたより良い方法に勝ちます。

LinguaPair では

アプリの映画は、実際に見た作品の字幕から始まります。カラオケ表示は歌詞を一行ずつ目の前に出すので、上の手順をそのまま一行の速さで回せます。視聴中に触れた語は、その行を例文として単語トレーナーへ入り、覚えたサビが別の場所でも使える十五語に変わります。視聴後の小テストは共通の問題集ではなく、あなた自身の一覧から作られます。相手も同じ歌を知っているなら、一行ずつ歌い合うのはこれまでに考案された中でいちばん痛くない話す練習で、それはおおむね二人で学ぶことの理屈そのものです。